カン・ロアメ's Blog

~海外に住んでみて見えた日本の日常生活について思うこと~

人生初の外国人との関わり(韓国の少年の苦い思い出)

私の小学生時代(今から約30年前)の

備忘録というか、思い出した話です。

 

昔、東京都大田区の区立小学校に通っておりました。

 

私の両親はともに日本人で、二人は当時、

外国へは新婚旅行で一度か二度行ったことのある、

お酒もあまり飲まない一般的な公務員同士でした。

母は東京の人で、父は地方から就職のために上京した人です。

 

当時でさえ比較的若くして結婚した両親で

家はお金に余裕はある方ではありませんでした。

(家にナイフとフォークなんてなく、洋食なんて

ほとんど食べたことはありませんでした。)

 

私にとって身近な外国といえば

父とたまに映画館へ観に行く洋画と

テレビの

フルハウス金曜ロードショー(どちらも吹き替え)

日曜日のテレビのハウス食品 世界名作劇場のアニメ

そのくらいだと思っていました。

 

池上線という3両編成の(東京23区ではかなり短いと思います)

ローカル電車の、これまた乗換駅でもなんでもない

小さな駅が我が家の最寄駅でした。

 

街でも目に見て外国人だとわかる人には

ほとんど会わなかったです。

 

そんな地元の公立小学校に通う日々でしたが

時々、クラスに一人ほど外国人の子どもが入りました。

 

聞いた話では、近くの大学教授の子だとか

大使館寮が近くにあるとかで、

インターナショナル校の夏休み中なのか、

一年のうちの1~2か月だけ、ポンと

金髪の子や肌の黒い子がクラスに一人まざりました。

(そんな事も私が高学年頃にはなくなったので

ほんの2、3年間の話です)

 

あまり仲良くなることはないにしても、

先生とその子の国についてみんなで地図をみたりしました。

(低学年ですし、DVDはなく、VHSが出始め

インターネットも普及してない時代です)

 

そして韓国や中国の子もいました。

中国の子は苗字が日本風で

おうちに遊びに行ったこともあります。素敵なおうちで

お母さんの優しそうな顔を今でも覚えています。

 

 

韓国の子の思い出を書きます。

 

男の子でした。目は切れ目ですこし吊り上がっていました。

私はその男の子と積極的に仲良くなりたいと思ったわけではないけれど

欧米系やアフリカ系の子よりは

アジア系の子の方が身構えないで気楽だと

どこかで感じていたのだと思います。

 

ある日、私は彼の少し離れた席で

他の外国人の子が来た時と同じように

韓国語の彼の名前をフルネームでとなえてみました。

(発音してみたかったのです。今でも言えます。)

 

そのとたん

 

彼は怒って私の席に来て、私の肩をバンっと叩きました。

私はショックでポカーンとしました。

その時まで、他人の男の子にぶたれたことは一度もありませんでした。

(高学年になると喧嘩でしょっちゅうとなります。。)

悲しいやら情けないやら、恥ずかしいやら

彼はただのいじめっ子なのかと怖くなるやら。

 

それ以来彼と話すことはなく

彼も私に何かすることはないまま、

一か月後くらいに彼は他へ去って行きました。

 

さて、私は何が悪かったのでしょうか

 

モヤモヤしたまま忘れ去っていた

苦いエピソードです。

 

何十年も後になって

韓国では人をフルネームで呼ぶことなど例外で

(目下であっても、嫌いな人や

町で遠くから見かけた人でさえ、フルネームは例外だそうで)

両親に怒られる時、両親だけが使うくらいで

フルネームは失礼だったと知りました。

 

もしかしたら、名前以外で怒らせた可能性もありますが

思い出せません。

ただ、他の男子は彼を下の名前で呼び捨てにしていたので

私が女子だったのがマズかったのかもしれません。

当時彼の中では女子と男子に差がある文化を持っていたのかもしれません。

 

お互いの日常文化なんて知る機会は殆どかったのです。

テレビで見ていたフルハウス(米)の登場人物はみんな呼び捨てでした。

 

小学校低学年で、私は「人種差別」という言葉すら知りませんでした。

それでも、中国風のしゃべり方を真似したお笑い番組

祖母から聞いた「私しーらなーい、シナポコペーン」というのを

その昔笑ったという話を聞くと、今ではタブーとなりつつある

"日本は他のアジアを下に見ていた(いる)” 

その空気を私も無意識のうちに内在化していたのかもしれません。

 

30年前のそんな空気を、韓国の少年はもっと敏感に感じたのでしょう。

日本の子どもや大人から向けられる(あるいはそういう気がする)

"ちょっと下に見ている風の態度"を。。。

 

彼は日本に来て、日本人女子が男子をフルネームで呼ぶのを

知らなかったのかもしれません。

だから知らなかった少年の彼を悪いとは思いません。

そして私もまた、悪くはなかったと思います。

 

しかしその後、お互い口もきかないまま

無関心になったことは事実です。

それで何が不都合かといえば

なにも困ることはなかったです。

ただ、彼はその時日本人のことは嫌いだった思います。

 

国と国と、人と人とで争っているきっかけは

案外こんなことなのだと思うのです。

 

●知らなかった

●自分に非はないと思うし、どうしようもなかった

●こちらが知らない相手の思い・価値観があったのだろう

●その後、わかり合えるチャンスはないまま

苦い感情だけは残っている。

●でもつっこんでお互いの事を知ろうとするわけでもなく

話合うのは疲れそうだ

●なんで嫌われてるのかわからないけど、こっちもなんか嫌だ

●悪い噂も聞くし

●まぁいいや、忘れよう、距離をおこう

 

その後、学生時代や大人になって韓国の人と知り合う機会もありました。

優しくて良い人達です。日本に来てるだけあって日本語も上手い。

が、彼らの心の奥にあるものはわからずじまいで

聞き出す勇気すらありませんでした。

日本人同士でさえ、分かり合えない人は多いのに。

 

学校の友達で、その子の着ていた服の色まで思い出せる子は

後にも先にも、その韓国の少年と中国の少女だけです。

特別変わった服ではなかったのに。

写真すらないのに。

 

あの日の彼の服の色

悪口を言われて泣いていた中国の少女の服の色

 

小学校低学年の私は、彼らの何をどのように見ていたのかな。

 

大人になり、海外の劇場の観客席でアジア人が私一人の時があり

少し居心地の悪い思いをした経験がありました。

欧米人は体格も大きいし私は子どもに思われたか

存在を気にもされてないのに。

 

なんだかわからない劣等感と恥ずかしさ。寂しさ。

 

30年前にタイムスリップして彼に

なぜ怒ったの?と

聞いてみたいです。

 

積極的に相手の事や国を知ろうとしなくてもよいから

せめてそれだけは聞いてもよかったのでは。

怖がらないで、面倒くさがらないで

会話、すればよかった。

 

 

おわり