カン・ロアメ's Blog

~海外に住んでみて見えた日本の日常生活について思うこと~

「ハリー・ポッター」作品中の大人~スネイプ先生

※私の個人的意見です。

※ハリポタについてネタバレあります。

 

ハリポタですが、作品中に魅力的な男性はいますか?

 

私は作品は大大大好きですが、個人的にあまりはいません。

強いて言うならスネイプ先生か、ネビルです。

 

女性も含め、ハリーポッターの登場人物の大人達、特に男性キャラは

読者の予想に反して時としてとても子供っぽい「行動」をとることがあります。

 

ダンブルドア先生でさえ完璧な人ではありません。

(ロンのお兄さんの長男&次男とセドリックは一貫して良い人です。)

 

そこがこの作品の最大の魅力だと思いますがし、物語だから良いのですが

反対に女性登場人物は、大体、キャラクターの行動に筋が通っています。

 

村上春樹の作品の主人公男性もなんだかいつも、ぶっきらぼうで時々

ありえない行動を取りますが、それはそれでキャラ的に筋が通っていますし

対人的には大体"大人”の行動です。

 

ハリーポッターで不思議なのは、この大人(特に男)達の行動で、

そこが非常に魅力的でもあり、人には良い面と悪い面がある、でも

その良い、悪いの判断基準でなんだろう、、と考えさせられます。

 

自分を抑えた、落ち着いた「英国紳士風(?)」が、本当に良いのか。

 

本音、欲、嫉妬、羞恥心など様々なドロドロとした複雑な感情を

主人公のハリーでさえ沢山読者に見せてくれますし、

ハリーのお父さんも若かりし頃は、いわゆる嫌な面があります。

(作者の男性観が多少入っているのかもしれません。)

 

それにしても、大人と子どもの区別ってなんだろう。

 

年齢?経験値?知識?

物知りでスキルがある者が必ずしも人の役に立つとは限らない

しかしそれらが無い者はあっさりと敵にやられてしまう。

 

 

 

<スネイプ先生につて>

1.アダルトチルドレンである

 

作品中の最重要人物の一人であるスネイプ先生は

いわゆるアダルトチルドレン機能不完全家庭で育った

トラウマをもつ成人と考える。)ですが、

同じ様な境遇の人物が作品に結構います。※映画の俳優・演技は考えない

 

①ヴォルデモートインナーチャイルドがそのまま強烈・強大に突き進んだ

 

②スネイプ①に劣らぬ知識。真面目で一途。その方向は歪んでいる。

   紳士の振る舞いをしているが、心には子どものままの自分が大きく占める。

  人の死を平然と受け入れるほどの心の余裕は無いし、

  関係のない人を巻き込むような邪悪さは無いが、個人的感情が特定の人物に爆発

 

ダンブルドア①と同様、偉大な自分のスキル向上に余念がない。リアリスト。

  生徒を愛するし、種族を越えて博愛で、客観的かつ紳士的だが、

 一番身近である自分の家族を愛せなかった。これが致命傷となる

 

ハリー・ポッター伯母の家族にイジメを受けてはいたものの、体罰はなく

  (いとこの暴力は有)ときどき起こす自分の魔法と、グレる前に魔法界に

   行けたことで愛情を受ける幸運な人。知識もスキルも平凡、でも飛ぶのは

   得意。なにより友人に恵まれた。有名であっても少年の頃の謙虚な人柄が

   キー。

 

以上、この4人は魔法使いとしての勇気やら能力やらは上級者ですが、

アダルトチルドレン気味であり、

作者が ポイントとして「愛」を置いていることは明確です。

 これに拒否反応を起こしてハリポタを読まない人もいますが、

 「家族」「愛」 これは哺乳類的にどうしても逃れられないテーマです。

 

2.スネイプ先生の複雑さ

彼は実の母親にはそれなりに愛されていただろうと思います。

しかし父親が憎い。これはそのまま、ハリーの両親へも投影されます。

 

父親側がとにかく憎い。母親側(リリー)をとても愛しているのに

その愛は自分に十分には向けられない。父親そっくりの少年(ハリー)。

母親=リリーの愛を一心に受け、母親の死の原因であるその少年。

少年に罪が無いのは知っているが、まぁ気に入らない。

こいつがいなければリリーまでは殺されなかった。

どうせ皆から甘やかされているのだろう。

だからと言ってハリーが死ぬことには抵抗がある。そこまで憎いわけではない。

目は母親そっくり。リリーへの罪滅ぼし(ヴォルデモートに情報を教えた)のためにも

命は守ってやる。それが自分の使命。この任務が好きというわけではないが

ある意味、生きる理由になっている。

 

教師という仕事、スパイ目的であるが、研究熱心な自分には向いているかも。

しかし親に甘やかされている、能力のない、子どもは大嫌い。

 

3.ハリーへの感情が変わった瞬間

スネイプ先生がハリーへの偏見を少し変えるきっかけになったのは

「閉心術」の個人授業中だと思われます。

有名で甘やかされて、父親同様に調子に乗ってる少年だと思っていたが

実は伯母のペチュニア(自分も子どもの頃から知っている)や家族からイジメられてた

ことをハリーの記憶から知ります。

そこから少しだけハリーに同情した部分があると思います。

そもそもハリーが死ぬ運命だということも、最後まで抵抗はあったと思います。

 

4.スネイプ先生の最期

リリーの瞳を持つハリーに最期に「見てくれ」といったのは、自分の記憶の

ことなのか、その瞳で看取られたかったのか。

彼が闇の魔法に取りつかれなければ、違った人生だったでしょう。

 

 

 

スキルのある者が愛や相手の心を手に入れられるわけではない、

これもハリポタのメッセージの一つのような気がします。

 

大人としての行動、それが、その行動する本人にとって時として幸せではない。

しかし「より大きな良い事のため」には、大人の様な行動をとらなければならない時がある。

個人と社会のテーマになってしまうが、世界中のニュースをみても

これは永遠のテーマで、

子どもの頃に社会の最小単位である「家族」

そこでの「愛」がバランスをとれなかった時、

どんな大人になるのだろう。

最期までインナーチャイルドは克服できないのだろうか。

 

本人の努力の末、あるいは知らずのうちに「愛」を与える側になっていた

そこにダンブルドアとスネイプの希望があります。

 

以上、ハリポタ、スネイプ先生と大人ってなんだろう、という考察でした。