ロットバルトはなぜ ~白鳥の湖~紫の上~敵とは内なり
先日、白鳥の湖のバレエを観てきました。
バレエについては全く詳しくありませんし、
ストーリーで「???」があるのは、ディズニー他色々ありますし
そもそも芸術作品を分析するのは、野暮というものですが
なぜ、あんなに白鳥の湖は心を打つのか。
その理由はまず、宝塚に「ベルサイユのばら」がピッタリなように
バレエという表現に「白鳥の湖」がよく合うのだと思います。純粋に観て美しい。
そして、そして
古今東西、女性の心を掴んできた要素が入っているからだと思います。
「白鳥の湖」の悪役魔王ロットバルトの前に、まずそのことから書きます。
人々の心を掴んできたその要素とは。。
< 恋愛もの:ロミオ&ジュリエット、少女漫画、女性小説、韓国ドラマ、源氏物語 あるある >
1)第一印象からドキっ 又は 第一印象が最悪
2)それは再会 又は 想い人にそっくり
3)女性はまだ恋をよく知らない
4)男性はイケメンで高スペック(王子様なんてなお良いですね)
5)なにやら家族(出生)に問題あり、それが恋の邪魔となる
6)二人の身分の差
(…ちなみに、日本の少女マンガ限定だと、ここに、「学校の屋上によく行く」「ヒロインがドジ系でよくコケる(そして男性がそれを助ける)」
韓国ドラマだと「交通事故」「記憶を失くす」などが入ってきます(笑)…)
さらに、これに「萌え」の要素が加わることで、女性をドキドキさせます。
それは。。
< 「萌え」る時は、ギャップの時なり >
1)ある事情で男女が逆になっている
(「君の名は」よりはるか昔からありますよ、歌舞伎はそもそも女性が男性の姿で始めたから人気が出ました。ベルばら、そして平安時代「とりかえばや物語」など)
2)悪役(ライバル、相手の男性)が実は良い人 又は魅力的
3)ほんわかキャラがやる時はやる、草食男性が時に肉食
女王様キャラが実は家庭的、クールな男性が見せる可愛い面などなど
4)実は変身・変装している (シェークスピアお得意、白鳥の湖のオデットもこれに当てはまります
シンデレラも本当はお嬢様、美女と野獣は言わずもがな)
なぜ、人はギャップに惹かれるのか
本来、「強くて・優しい」男性 というのは相反するキャラクターです。
お金を稼ぐにはそれなりに相手にキツい態度を取らなければならない時も
不要なものをバッサリと切ることも必要です。優しいだけでは自分がやられてしまいます。
「強い けど 優しい」この二つを持っている、いわばダブルスタンダードに
惹かれるのは、女子の欲張りと言えばそれまでですが
女子が欲張りなのは、
メスは妊娠中、身動きのとれない=敵から狙われやすい
し、また出産も命がけだからです。このリスクをとってまでのオス選びです、
子孫を残すにあたり、少しでも条件の良いオスを選ぶ習性があるからなのです。
「エサを勇敢に捕って来てくれる けど 巣も綺麗にしてくれる
(子育てもしてくれる)」ようなオスを求めるのは自然なのです。
そして、そのオスを選べる期間もとても短いのです。自分が美しく健康体いられる時期というのはとても短い。
それを本能的に知っているからこそ、恋愛体質の人が多かったり結婚にとらわれてしまうのです。
つまり「優秀な子孫を残すしか自分の存在価値がなくなってしまう」というメスの危機回避の本能です。
それができないと
「母の"ような"存在になる」
「男女二人で生きていく」
「男女を卓越した存在として生きていく」
と、人間のメスならばほぼ3種類の道がありますが(現代ならもう少し選択肢は多い)、
源氏物語の紫の上の人生は、この3つが叶ったようで、叶わなかったような不安定な「あはれ」でした。
性格や知識、知恵だけで生きていくにも評価する人は 永遠に立場までは保証してくれないのです。
そもそも、光源氏と紫の上は上記の あるある の「身分の違い」が相当なものでした。
白鳥の湖もそうです。「白鳥(に変えられた少女)と人間」です。身分の差どころか、生物の差です。人魚姫もです。
韓国ドラマも御曹司と平民、鬼と少女など、身分の差は鉄板。アラジンも身分差ですね。
身分を乗り越える、あるいは乗り越えようとする物語に古今東西、人々は魅了されてきたのです。
男性だってできれば綺麗(=健康)なメスが良いと思うのは女性と同じですが、
でもたとえ選ぶのを失敗しても、すぐ次に行ける身体です。
(他のオスにメスを取られないようにする苦労はありますが)
女性と比べると、相手に期待するボリュームが違います。
「おしとやか(家庭的) だけど スポーツが得意(健康) な女性」
「キレイ だけど 勇気があって危険を冒してくれる女性」
この手の要素は男性も弱いと思います。
「外では淑女、夜は娼婦」なんてのもありますね。
白鳥の湖の王子が黒鳥オディールに騙されるのも、
観客が黒鳥の踊りに魅了されるのも、このギャップ萌えでしょう。
< ライバルあるいは敵とは誰なのか >
ようやくロットバルトに近づきました。
シンデレラの敵は誰だったのか。もちろん実行犯は継母ですが、なぜ
継母はシンデレラが気に入らなかったのか。白雪姫の様に、殺すなり追い出せばよいのに、なぜイジめたのか。
使用人としてコキつかい、お金の節約?ならイジメたら仕返しされそうです。
それは「シンデレラみたいな良い子ちゃんは私に仕返ししない」とわかっていたからです。
つまりシンデレラの本当の敵は「自分の良い子ちゃんぶり」です。
源氏物語の紫の上の本当の敵は誰か。雅で高スペックだけどどうしょもない光源氏か。
いや、身分もなく、その光源氏の愛情だけに頼るしかない「自分自身」。
これに心が病んだのです。
わがままを通して「こんな身分だけど、お願い!何度も言うけど出家させて!させないと呪うぞ~!」ぐらい言えば良いのに、言えなかった自分自身。
結局「光源氏の好みのままの女性でいようとしてしまった、嫌われる勇気がなかった、相手の事を考えすぎた」自分の弱さです。
美女と野獣、人魚姫も眠れる森の美女も、白鳥の湖も、少女漫画もよく
魔法を解くカギは「真実の愛」
です。でもこれって一体なんなのよ、本当に全く、、
アンジェリーナ・ジョリーの実写版映画「マレフィセント」を観た人ならお察しかと思いますが
「真実の愛」って単に男女の愛でないのでは?という事です。
白鳥の湖のオデットと、黒鳥のオディール、もう名前からして似過ぎですよね。
そうです、本当の敵とは「自分の中にあるもの」です。
黒鳥オディールの正体とは、、、
白鳥オデットの、いわば黒い部分だと考えられます。
ロットバルトはなぜにオデットの邪魔をするのか
→→魔王ロットバルトは、白鳥(と人間のハーフ)の身分で王子様と結ばれようとするオデットの敵のイメージそのものでしょう。
それは古今東西変わらず存在する、妬み、嫉み、不条理、理不尽そのもの。
アンパンマンでいうバイキンマン、なぜ邪魔するの?「敵だから」
黒鳥オディールについては「女らしく誘惑する女」です。魔王ロットバルトの操り人形であり、観客自身にその性格的なものを委ねさせる存在です。
結局、オディールとは「オデット自身の良い子ちゃんじゃない女の部分の化身、あるいは自分から誘える女の部分」と考えられます。
ナタリー・ポートマン主演のアカデミー作品映画「ブラック・スワン」もこの解釈でないでしょうか
ブラック・スワンで彼女を破滅させたものとは、ミラ・クニス演じるライバルの黒鳥的な彼女ではなく、母親、そして自分の生真面目な呪縛から逃れられなかった自分自身です。
白鳥の乙女=白い体=真実の愛を知らない=少女時代=処女性
女性ならば、永遠に少女のままではいられません。
「私狩りなんてできません(ナヨ)」っとしてみたところで、
親や守ってくれる人がいなければエサがなくて死あるのみ。
エサを十分にとれるスキルをオス以上に身につけなければなりません。
存在意義である「母」になるためには、ど根性で出産に臨まなければならないし
敵から我が子を守る時は、般若にもなります。
その前に、性交という必然的に乱れなければなならい門があります。
身分違いの女が、美しさだけでは生きていけない事は、メスならば誰でもわかっています。
知性、勇気、多少の汚さ、これらを含めた自分自身を愛せるか
それでも美しさにこだわってしまう女の性(サガ)
「真実の愛」とは自分の汚さを愛せるか、狡さを含めた親の愛を知り、自分もそんな親になる覚悟はあるか、相手の汚い部分を愛せるか、相手の幸せを想えるか
こんなことだと思います。
先日観たバレエは、最後は王子が魔王に打ち勝ち、白鳥の湖をハッピーエンドで終わらせる演出でした。
はっきり言って物足りなかったです。東南アジアではこっち方がうけるのかもしれません。
Act4 最後のシーンは 「あぁ、やっぱり王子、あなたも 美しい女に騙された。
ほら男ってそうよ、外側しか見てないんだわ、そういう私も綺麗なままでいたいの
人間に戻りたかったけど、どうやら戻れないわね。次に戻れる可能性がやってくるチャンスはきっと無いに等しい。。私年とるし、、なら外側だけじゃなく中身も綺麗なままでいたいの、あぁ王子と結ばれたかった、さよなら、さよなら」
こうでなきゃ。。
昔は、ジュリエット、ハムレットのオフィーリア、白鳥の湖のラスト、
少女の考えだからって何も死ぬことないじゃん、と思っていましたが
年をとった今ならわかります。
白鳥界(?)の姫だった自分が、もう王子以外愛せないない、
そもそも鳥として一人で生きていく勇気もない
「愛も親も(中身も?)ない、私から今の美しさをとったら何も残らない、
だったら年をとらず、いまのまま死にたい」
私には美は無いにしても、この気持ち、よくわかります。
ピーターパン症候群です。永遠に少女でいたいという気持ち。
人魚姫、紫の上、オデット、etc.そこには今まで大事にされてきた女のプライドと
少女のままでいたい夢と、
こちらから強く出れない自分の身と、想い人に自分が望むようには愛されなかった悲しみ
自分の腹の黒さが濃くなっていくことに負けた儚い、
ー本当の敵とは内なり 敵に負ければ死するのみ―
少女漫画の理想とギャップと淡い美学があるのです。